今日もパリの街角で

数枚の写真とともに パリの日々刻々をご一緒に

今日のパリは時節柄...夜空に虹が

 

夕刻のオペラ大通りから

とある横道を見通すと

暗い空に電飾が輝く

虹が出ていました。

 

 

日本の様な「遊園地」が無かったフランスでは

移動可能な規模のジェットコースターや

射的屋などの

小規模なアトラクション屋さんが

あちこちの町や村の広場で

数日から数週間店を出し

全国を巡業して回ると言う商売があります。

 

そんな業者さん達は

夏休みと

クリスマス休暇の時期になると

複数が都会に集まって

ちょっとした期間限定の遊園地が開催される

と言う伝統があります。

 

このブログでも

何度か紹介していますが

パリではルーヴル宮に隣接する

かつてのチュイルリー宮の庭園跡

いわゆる「チュイルリー公園」が

結構な規模の移動遊園地会場となるのです。

 

 

そこの

今の時代では移動式とはいえそこそこ大型の観覧車が

日暮れと共に点灯する電飾で

あたかも

夜空の虹のように

低い空を彩っていました。

 

 

据え付けの基礎部分や

サポートするアームなどを分解し

輪っかの部分は

まるで扇を畳む様な感じに閉じて

大型トレーラーに積み込んで

全国を移動するなんて

すごい商売もあったものだ。。。

 

 

最近では

30m程の高さの支柱の天辺まで登った

数人座れるシートを

一気に落下させて

ほんの0コンマ数秒間ですが

瞬間的に自由落下=無重力状態すら体験できる

すごいアトラクションすら出来ています

乗らないけど。

 

君子危に近づかず(笑。

 

 

さしずめ

「フーテンの寅さん」の

「物は売らないけれど楽しい体験を売る」

フランス版テキ屋さんが

最も活躍する時期を迎えました。

 

 

 

今日のパリはエコロジー

 

12月の第一日曜日は

寒い1日でした。

 

そんな中

近くでなんだか不思議な小型車を発見

 

正面は

ヌルリとした「のっぺらぼー」で

みたこともない変わった風貌。

 

こんなミニマリスト風なデザインは

当然電気自動車に決まってるのですが

よく良く見ると

ヘッドライトがドアミラーと一体になってる。

 

計算の行き届いた

合理的なデザインで

デザイナーのセンスが光るフロントです。

 

 

通り過ぎさまにギリギリで撮した

側面のデザインを見ると

ドアがない。

 

と言うことは

正面から乗り降りするタイプらしい。

 

後で写真を見直したら

前面全体が

しっかり「開けられそうな」造りになってた。

 

それで思い出しました。

 

その昔

ISETTAというイタリアの

三輪軽自動車があって

それが前乗りだった。

 

 

後輪の車軸の幅が前輪のそれより狭いのも

むかしのISETTAが後方1輪の三輪車だった様に

回転時の安定性を高めるため。

 

欧州は電気自動車が多くなりました。

 

戸建が中心の地方の町ならともかく

集合住宅「しか」無いパリでは

自宅で充電できないため

極めて不便な筈なんですが。

 

それに関して

実はここ20年以上パリ市長は社会党で

市議会も与党は社会党と緑の党の連立で

町中から車を徹底的に排除したいと思わせる

車撲滅政策と呼んでも過言では無い政策で

大通りは無用に広いバス専用(タクシー可)レーンと

加えて自転車・キックボードの専用レーンばかり

続々と増やして

極めて悲惨な状況になってきています。

 

電気自動車の充電スタンドも

かなり増えてきました。

 

その様な流れの中で

この様に小さな電気自動車は

時代の優等生なのでしょう。

 

Photo by "e-cro car" site

帰宅後ネットで調べてみたら

21世紀のISETTAを自認する

イタリアは車の聖地トリノで

この9月から生産開始されたばかりの

e-cro car社製MICROLINO という

できたてほやほやの都会型エコカーでした。

 

やはり前乗り。

 

それがなんと

最高速230km/h だって!

 

そんなんでぶつかったら

大破するに決まってる!

 

ちなみに

フリーソースから

昔のISETTA の写真を見つけてきました。

 

 

1950年に入ってすぐ

イタリアのISO 社が生産していたゼッタは

55年頃BMW社に売却され

BMW ISETTAとして60年代半ばまで生産が続きました。

 

前半は200ccで

60年代からは300ccに増強。

 

極めて軽いボディーのため十分実用にたえていた。

 

この写真は55年頃の年式のようです。

 

また

フランスではVELAM社がライセンス生産を

していたとか。

 

 

新生メーカーの第一号車を

いち早く購入して乗ってる

珍し物好きなフランス人がいたものです。

 

 

今日のパリは季節柄...

 

キラキラです。

 

いろいろあって半月ほど更新が滞っているうちに

12月1日を迎えました。

 

いきなり寒くなって

午後の最高気温が2度あるかないか。

 

一瞬ですが

粉雪が舞うのをみてしまいました。

 

そして

年に一度のパーティーの時期を迎え

パリのウインドーは

右を見ても

左を見ても

キラキラと輝いています。

 

 

私の素人カメラでは

輝きが表せず

単にブツブツの集合体にしか見えませんが

全部

ビーズだか

スパンコールだかの

大集合です。

 

 

 

スカートだけのヴァージョンもあり。

 

 

これは

フェイクの毛皮と一緒ですから

それなりにパーティー用だと分かりますが。

 

 

ボトムがロングなだけで

極々普通のカーディガンのシックなアンサンブルも

極小のビーズで

煌めいています。

 

 

タキシード風のデザインのジャケットに

ルーズなパンツの組み合わせ。

 

 

一転してクラシックな刺繍風の

ビーズのフェニックスを纏ったワンピ。

 

 

普通見かけないだろうみたいな

グリーンのキャミソールだったり。。

 

 

ルーズなロングドレスだったり。

 

 

ミニスカートとシャツのコンビの

カジュアル風でドレッシーな

組み合わせ。

 

 

まさしく

鎖帷子としか呼びようがない

重そうにすら感じるメタル感がすごい。

 

 

そして

キンキラキンといえば

当然山吹色。。

 

もしかしたら

美輪明宏さまの御用達だったりして。

 

ありがたや

ありがたや。

 

 

パーティーに

紫のロングドレスは

鉄板です。

 

 

そしてなんと

ウールのジャケットにまで

細かな光源が

無数に付いておりました。

 

写らないけど。。。

 

 

メンズだって

まけてはいられません。

 

 

中世の騎士の

鋼鉄の鎧の下に身につける

鎖帷子

みたいなジャケット。

 

それを

ダメージド・ジーンズに組み合わせるなんて!

 

 

もちろん

小物も当然

きんきらでコーディネート

って

一歩間違えると

大惨事は避けられませんけどね。

 

 

 

これ

実はバッグです。

 

 

そして

なんと

カジュアルな感じのアンクルブーツまで

てんこもりのビーズで

埋め尽くされているではありませんか。

 

もはや

言葉がでてきませぬ。

 

12月に入ってすぐのパリは

商店街を1時間も歩けば

そこそこのブランドであろうが

1シーズンで着倒す

安価でとんがったデザインの無名メーカーまで

どこも

ビーズとスパンコールとで

溢れておりました。

 

 

少し違うけど

くす玉みたいなディスプレイも含めて

町中が年の瀬のパーティーを

待ち侘びているのが丸わかりです。

 

そして

そんな中に

グリーンがトレンドなのかもしれないと

気付いた午後でした。

 

 

さらに違うけど

アルミ箔製かの様なキラキラも

番外編として。。

 

 

 

今日のお疲れ様

 

本日11月18日土曜日は

昨夜半から降り始めた雨が

飽きもせず丸一日降り続いて

外に出るに出られぬ有様でした。

 

が。

 

やはり一日中閉じこもってるわけにもいかず

大きめの傘を手に

思い切って飛び出して

トロカデロまで来たら

なにやら長蛇の列。

 

 

そうだった。

 

4年ほど改修工事で閉館していた

国立海事博物館が

昨日11月17日に再オープンしたんだった。

 

せいぜい

ラーメン屋の前の2〜30人の行列しか

外で人が並ぶ光景を目にすることがほとんどない

このパリで

この雨の中

全員傘をさして濡れながらの

入館待ちって...

 

お疲れ様です。

 

ガイドブックなどには

「海洋博物館」と書かれているようですが

そう言うと

海の科学的な生態の展示に思えてしう。

 

実際は

古代より現代までの

船舶の歴史を中心にした

船と海上交通

及び

大航海時代からの海軍の歴史の展示なのです。

 

とても

興味深いですけど

海の生態などではない。

 

そして

広場の方を振り返ると

別の人の群れがある。。

 

なんと

トンネル掘削機のドリルの先端の「刃」の実物。

 

えっ?

人形がぶら下がってる。

 

大きさをわかってもらう為かも

でも

フランスにしてはセンスないw

 

しかもおじさんw

 

 

なんでもっと可愛らしいフィギュアに

しなかったんだろ

というのは日本人の発想か?

 

 

と思ってたら。。

 

 

動いた!

 

右向いてる。。

 

 

確かに動いた!

 

右を向いたし

足も動いてる!

 

どうやら

生きたおじさんだったようです。

 

生おじw

 

となると

左手の袖を通って

体を支える金属製の支えが

服の中に隠れてるはず。

 

 

メトロの

新線建設のキャンペーンみたいです。

 

 

広場の向こう側まで行って

背中から見てみました。

 

 

しっかり

左腕一本で支えて

宙に浮いているように見えます!

 

 

そのまま

雨中の散歩を継続。

 

 

30分程歩いて戻ってきたら

おお

撤去作業が始まってるみたいぢゃないか!

 

 

一つ前の写真で脚立の上にいた

黒シャツ白ズボンの人が

「生おじ」

だったんだろうか?

 

 

残されたのは

体を支えるアルミ製のサポートと

外せない

シャツと上着のみ。

 

 

それにしてもあのおじさん

結構な雨の中で

どのくらいの時間

ドリルに左腕一本で張り付いていたんだろう?

 

 

先ほどは気がつかなかった

トレーラーの広報キャビンが

出ていました。

 

 

そして

相変わらず

海事博物館の行列は少しも短くなっていません。

 

ドリルおじさんも

私も含めて群がって写真撮ってた人たちも

再開した博物館の入場者たちも

結構な雨の中で

「♪本当に本当に本当に本当に

ご苦労さん♬」

(ドリフのあのメロディーでw)

 

みなさま

本日は

お疲れさまでした!

 

 

 

今日の晴れ間は久しぶり

 

11月17日金曜日

午前中から

窓の外は明るい陽光があふれてて

なんか

久しぶりに

湿った心がふっくらと乾き上がるような

浮きたつ気分になりました。

 

お陽様に干される布団の気分とでも言いましょうかw

 

外に出てみると

今月初めに書いた

夜間に設置していた

クリスマスの

ストリート・デコレーションに

電球を取り付ける作業が行われていました。

 

 

ヒイラギの葉っぱのギルランド(花房)に

小さな明かりがきらめいています。

 

空が

いつになく明るく青いので

光はほとんど肉眼に感じないほど微かなのですが

しっかり点灯されています。

 

 

目を凝らしてご覧下さいw

 

 

うんうん

しっかり点いてる。

 

 

通りの一番最初は

こんな感じ。

 

青空につられて

いつものビィル・アケム橋まで行ってみたところ。。。

 

 

欄干には

橋の長さのすべての位置に

写真を撮る人々がずらりと連なっていました。

 

まあ

ここは雨でも撮影者はいるのですが

今日は

心なしか皆さんの心も

晴れ上がっているのを感じました。

 

 

橋の途中の

騎馬のマリアンヌ像が有るテラスには

ことのほか人が多く

良い場所で撮影するために

順番を待っている人も多かった。

 

ちなみに

数日前の朝

雨がやんでる頃合いの同じ位置では。。

 

 

エッフェル塔の頭部が

雲というか霧というかに

すっぽり包まれていました。

 

この写真を撮る瞬間に

雲が薄らいでしまった(笑

 

 

しかし10秒後には

またこうなっておりました。

 

結局

今日は一日中好天に恵まれ

例によって夜中にこれを書いているわけですが

思い立って窓の外を見ると。。

 

 

0時過ぎているのに

まだ点いてた。

 

 

ウクライナやら

パレスチナやら

世界は辛く悲しい状況だらけですが

年末に向かう時の流れと

その時を迎える習慣とは

しっかり

変わることなく継承されて

変わることなく

皆をその時に誘っているようです。

 

 

 

今日の素敵なお店の素敵な展示物

 

連日連夜の雨

降ったり止んだり

傘を広げると止み

畳むと降り出す。

 

降り出して

すぐ止むからと傘を広げないと

雨脚は強まる。

 

びしょ濡れになって

根負けして傘を広げると

止む!

 

そして夜中は一晩中

飽きることなく降り続く。

 

昔のパリはこうだった。

夏のバーゲンで買った華奢な靴が

秋の雨で

粉を吹き

小指の付け根辺りに縦じわができて

そこが切れてしまって

やがて靴底にも穴が開く。

 

近年

パリの秋の長雨はなくなったようで

忘れかけていたら

今年

すっかり「本来の」パリの秋となってしまいました。

 

そんな中

サン・ジェルマン・デ・プレの細い通りに

個性的なお店が並んでいて

ウインドウの向こう側には例によって

垢抜けた日用品や

素敵なオブジェや

不思議なポップアートなどが

ひっそりと見え隠れしているのでした。

 

冒頭の写真は

ハリネズミの親子。

 

 

バスルームの調度品店に

実に素敵な蛇口が飾られていました。

 

 

真鍮製の

お湯と水との蛇口。

 

ヘビではなく

中世から近世にかけての

ヨーロッパの水棲動物のイメージ。

 

水を出す器具の先端を「蛇口」と呼ぶのは

明治初期に

西欧からこの手の器具がもたらされた際に

新たな単語を作った先人たちの

センスに乾杯したくなる。

 

 

後付けするシャワーブース。

 

上にある円形のレールでシャワーカーテンを引くわけで

錫のパイプとフレームが

実に良い。

 

 

温度を設定できるダイヤルと

温度計が完備しております。

 

いいねえ。。

 

 

田舎風で

かつとてもシックな布屋さん。

 

 

カーテン

壁布

キルトに

クッション。

 

 

上品な店内です。

 

そして

インテリア用のアートギャラリーには。。。

 

 

ローラースケートを履いたあんよ。

 

ジェンダーフリーの時代でも

女性のあんよの方が

美的には優れておりますので。

 

 

ゴールドのピンが

山ほど刺さった髑髏。

 

 

これ

昔のフランスの台所にあった

「塩壺」みたいな

でも

手を突っ込むと

噛みつかれそうで躊躇してしまう

面白いオブジェ。

 

蚊取せんこの容器に良さそうw

 

 

逸ノ城!?

 

 

分解した時計のあらゆる部品を

透明の樹脂で封じ込めるオブジェは

結構昔からありますが

円筒形を輪切りにしたフォルムで

縦置き

というのが目新しい。

 

 

なんと申しましょうか〜

 

頭がミッキーで

やたらウエストがキュッとした

腰が砕けかかってるヴィーナスw

 

 

こんなウインドウに見とれながら歩けば

「雨に唄えば」

の歌詞とメロディーが

頭の中に蘇ってきましたよ。

 

 

 

今日のパリの路面

 

路面の石畳の張り替えをやっていました。

 

石畳は

日本ではあまり馴染みがないかもしれませんね。

 

表面が四角い

薄い石を

タイルのように並べてある

と思っている人もいて驚いた経験があります。

 

 

実は

一辺が10cmくらいの立方体の塊なのです。

 

準備するものは。。

 

 

表面を覆う

硬い花崗岩や玄武岩の立方体ブロックと。。

 

 

下から受け止める

基礎でクッション役の砂と

(ここではベージュ色の砂でした)

表面から各ブロックの継ぎ目に埋め込んで固める

接着剤としての細かく砕いた石

(濃いグレーです)。

 

 

一段高い歩道の縁のための

花崗岩の細長いブロック。

 

 

下を通る

側溝を下水の本管とを結ぶ

フレキシブルなパイプと

工事現場を囲むパネル。

 

 

かつてこのブログで書きましたが

歩道の下には必ず側溝があり

建物の生活排水と

雨水が流れ込み

大通りや広場の中央の下水の本管に流れ込みます。

 

その網の目のような下水道は

上水道(飲料水)と

電線と電話線

昔しないなら1時間で配達できた

真空パイプ速達のためのパイプ

工場やアトリエの圧縮空気を送るパイプなども

組み合わされており

特にはフレキシブルなパイプも使われます。

 

そのパイプを埋めた後に

上から砂よけのビニールシートが張ってある。

 

 

表面の石のブロップは

青海波のように並べます。

 

市松模様もありますが

青海波の方が見た面も美しい上に

外れにくいようです。

 

 

砂の層を作って

さらにその上に立方体のブロックを並べて

上から細かく砕いた石を散布して

ローラーをかける。

 

 

そして

散水してブラシでこすると

表面の砂は洗い流され

目地の間の接着は堅く締まる。

 

そうすることによって

コンクリートのように固まるのだそうです。

 

実際にコセメントで固めたりはしません。

 

固めてしまうと

上を通る車や人の重みや振動で起こるズレが

起こりにくくて逆に壊れてしまう。

 

 

昔々

1968年の5月

政府の学制改革に反対する学生き達の

デモの頻発に労組が加わり

世界中に新左翼運動が起こったいわゆる5月革命の際

学生街カルティエラタンで

学生のデモ隊が

規制する機動隊の催涙ガス弾や放水に対抗して

道路の石畳を剥がして投石して

抵抗しました。

 

それに懲りた政府は

基本的に大通りの石畳の上にアスファルトを被せて

石畳を投石に利用されないような加工を

してしまいした。

 

パリの街の通りがもしアスファルトやコンクリートでも

それを剥がすと

以前の石畳がそのまま残っています。

 

今日11月11日

第一次世界大戦終戦記念日に

イスラエルのパレスチナ蹂躙に反対する

反戦デモが行われて

68年5月のことを思い出してしまいました。

 

 

 

 

今日の神々しき立ち姿。。。

 

パリのど真ん中

「ルーヴル宮」の中庭から西に一直線に

何も視界を妨げない空間が遥か彼方まで伸びています。

 

都会であれば

街のどこに立とうと

そこから360度回りを見回すと

必ず何か人工物が視界を遮ります。

 

それが

パリは街の中心から西方向に

一直線の空間が見晴らす限り開けている。

 

その線上に

ナポレオンが凱旋門を二つ建てました。

 

さらのその線を西に延ばして

パリと隣の自治体との境界までくると

ポルト・マイヨー(マイヨー門)という

大きなロータリーがあり

そこに

国際会議場(Palais des Congrès)という

モールを含む建物があって

その正面に

神々しくも可愛らしいものが佇んでいました。

 

一見トロイの木馬風の。。

 

 

そう

言わずと知れた

トナカイさんです。

 

巨大で真っ白な。

 

ツノに

色とりどりの装飾球をまとって。

 

 

そうか。

 

11月8日水曜日

すでに

クリスマスの時期に

突入し始めているわけですねえ。

 

 

見る位置によって

順光か

逆光か

によって色合いは変わって見えるものの

純白の

網状というかスケスケのお姿。

 

スケスケなので

中にオデュッセウスの軍勢が

隠れている余地など無いことは明白。

 

 

まだ明るいのであまりはっきり見えないものの

よくよく見ると

電飾が付いてました。

 

そして

なんとも可愛いお尻。

 

 

装飾球のせいで

真後ろから見るツノが

なんだかウサギのお耳みたいにも

見えなくもなく

かわゆい。。

 

 

街中に

クリスマスの飾りつけは

まだまだほとんどないものの

今後は

世の中が急速に

年の瀬へとつっ走って行くんだろうな。

 

一年中で

一番楽しげで

一番せわしなく

一番寂しさを感じる時期を迎えます。

 

 

そういえば

この「コングレス・センター」の玄関口や

入ってすぐのロビーに

この形の照明灯が立っているのですが

どこかで見たような

と考えていたら気が付いた。

 

東京五輪の聖火のトーチが

これに似てた。

 

あの大会の様々なものが

パクリ疑惑に揺れましたが

トーチをデザインした人は

ここにきたことはなかったんだろうか??

 

 

今日のパリで昨日のパリを想う

 

パリで最も高い建物は

モンパルナス駅前の

モンパルナス・タワーで

210m59階建て。

 

これを含めて

100m超えは2つしかありません。

 

国土の広いこの国は

人口密集が少ないので

高層ビルや地下街の必要はないのです

 

 

これがモンパルナス駅舎。

 

実はこの地は

17世紀後半までパリを囲む城壁の外でした。

 

ルイ14世が

戦争資金に不足が生じた折

パリ市内に「アルコール消費税」を導入した際

市内を出た場所だと無税で

しかも物価も安い

というわけで飲屋街となり

その後ルイ14世がパリ市を広げて

市内に含まれても

郊外の質素な建物がその後も残り

20世紀になった頃ははかなり老朽化した建物ばかりで

売れるあてのない画家の卵たちが屋根裏部屋に住み着き

酔客の似顔絵を描いて小銭を稼いでいたそうです。

 

 

そんな老朽化した町内の再開発が第二次大戦後始まり

ポンピドゥ大統領が

駅舎の建て替えと

駅前再開発で高層ビルとモールとを作りました。

 

その工事開始の礎石を置く式典で

演説する大統領を

この写真を撮っている側の建物の

最上階のバルコニーから

プロのスナイパーが狙撃する

と言うシーンが

フレデリック・フォーサイスの

「ジャッカルの日」と言う作品で描かれました。

 

作品では

ポンピドゥではなく

ド・ゴールと言うことにしてありますが。

 

 

そこから北に「レンヌ通り」がまっすぐ

サン・ジェルマン・デ・プレまで伸びています。

 

その通りから振り返ったこの光景が

長らくパリの市民に嫌われています。

 

だって

町並みと比べてあまりにも場違いですから。

 

 

その通りの同じ位置から

逆に北側を振り向くと

サン・ジェルマン・デ・プレ教会の鐘楼の

三角屋根が見えます。

 

 

レンヌ通りを

デ・プレの交差点まで行くと

不思議なものが。

 

歩道の敷石を突き破って地面から水が噴き出す

様に見えるデザインの

噴水です。

 

 

ただ

噴水と言っても

水は地面の上に上がっておらず

あくまで敷石を粉砕してる様に見える位置まで。

 

この地区は文教地区カルティエ・ラタンに近く

専門書を出版する中小の出版社が多く集まり

両大戦の間に

若手の哲学者たちがたむろしたところでした。

 

ジャン=ポール・サルトル

シモーヌ・ド・ボーボワール

レヴィ・ストロース

ミッシェル・フーコー

などなど。

 

そこに

モンパルナスから

エコル・ド・パリと括られる画家や彫刻家

などもやってきて

精神的に影響を与えあっていたそうです。

 

 

教会正面反対側の歩道に

ザトキンの彫刻が飾ってあるのですが

今回はその他にも

若手の作品と計4体並んでいました。

 

 

ヘミングウェー

ロダン

ギヨーム・アポリネール

なんて人達も。

 

 

デ・プレ教会正面横の囲いの中に

ロダン作アポリネール像があります。

 

10年ほど前に盗難にあい

数年前に見つけ出されて

元の場所に戻ってきました。

 

 

日差しが強く

まるで入道雲のような白雲が出ていましたが

肌寒い一日でした。

 

 

 

今日の準備万端

 

昨日11月2日夜23時頃

窓の外が

なにやらガサゴソ。。。。

 

覗いてみたら。

 

通りの

クリスマスのデコレーションの

取り付け作業がが始まっていました。

 

 

時折並木の刈り込みや

イヴェントの設営などで見かける

小型の高所作業車スーパーデッキが

4台ほど並んで止まっており

デッキに

作業員が一人ずつ乗り込んで

通りの頭の上を横切るデコレーシンの取り付けに

取り掛かっています。

 

 

トラック型だったり

ヴァン型だったり

デッキも

オレンジ色だったり

白だったり。

 

 

 

作業員は

端末で作業内容を確認している様です。

 

 

物好きな私としては

こんな光景を逃すはずもなく。

 

当然下に降りて行きましたとさ。

 

 

上から見るのと

下から見るのと

当然見え方は変わります。

 

もみの木の枝のギルランド(花鎖)を

取り付け中。

 

 

上方の青白いまあるい光源は

デッキの上の作業員のトーチ。

 

 

そして本日

11月3日の朝方

改めて見てみると。。

 

 

上の写真の位置の取り付けが

終わっていました。

 

 

それどころか

1kmほどの通り全体が

しっかり飾り付けられていました。

 

 

LEDの電球も付いているはずですが

実際の点灯開始は

まだ10日くらいは

先になることでしょう。

 

毎年同じデコレーションで使いまわしている様ですが

昔は数年ごとに

デザインや趣向が変わったものです。

 

ちなみに

シャンゼリゼ大通りの

電球は

すでに10月半ばには

取り付けが終わっていました。

 

 

昨日の午後の冷たい雨とはうって変わって

今日は一日中

好天が続いてくれました。

 

でも

かなり風が強く

寒かった。

 

11月のパリは

すでに冬の到来を迎えています。

 

 

今日の天使は虚無に吠える

 

たまたま北駅に行ってみて

驚きました。

 

えらいことになってる。

 

実は

来年の五輪イヤーに合わせて

かどうか知りませんが

パリ中いたるところが工事中で

北駅の前の広場もその例に漏れず

ごちゃごちゃなのですが

そこに

怪獣がいた。

 

 

パリに六つある終着駅の一つである

北駅は

その名の示す通り

パリから北への路線の発着に当てられていて

国際線で言えば

ベルギーとオランダ

そしてドイツの一部フランクフルト

などに向かうTGV(高速鉄道)の

タリスと

およびロンドンに向かうTGVである

ユーロスター

とが発着します。

 

その駅頭に。。。

 

 

まるで

オンラインゲームのキャラクターの様な怪獣が

そそり立ってるじゃありませんか。

 

 

この辺りも

ごくたまにですが来る事は有るのに

こんなん全く知らんかった。

 

 

結構な大きさです。

 

ちなみに

オレンジ色の上着の人たちは

駅を訪れる不案内な人たちのために

質問に答えたり誘導したりする

国鉄職員です。

 

 

ついでに駅構内に入ってみた。

 

郊外線と近郊線の離発着ホール一つと

国際線を含む遠距離線の二つホールとがあり

ここは

国際線の出るホールの一つ。

 

目の前の赤い電車が「タリス」という

ベルギー・オランダ・ドイツの一部に向かう

電車です。

 

 

こちらは同じホールの

英国行き「ユーロスター」のホーム。

 

英国は

EUの加盟国の時代から統一路線を取らず

通貨も変えず

ポンドヤード制も変えず

車の左側通行も変えず

通関も旅券審査も必要なので

ホームは透明の囲いで覆われています。

 

 

駅構内に

仏大手スーパーチェーンのモノプリの小型店

「モノップ」が出店していて

旅客が車内で食べる

おやつやスナックを売っているのですが

今や

おにぎりや寿司弁当は定番。

 

 

改めて

駅構内から駅前広場に出る位置から見て

この怪獣は

逆光の中で神々しかった。

 

前日まで

今日は終日雨の予報だったのに

お昼過ぎまでは太陽が出てくれた。

 

でも

突風が吹き荒れて

ほとんどのTGVと

航空機まで終日乱れたらしい。

 

 

帰宅後調べてみたら

これは「エンジェル・ベアー」という名の

クマと天使のハイブリッドなのだそうです。

 

 

画家で彫刻家のリシャール・テクシエが

COP-21の後

気候変動による温暖化で

北極クマまで生存を脅かされている状況を

製作上のインスピレーションにした。

 

2018年以降に

エッジを効かせながら

軽く滑らかなブロンズ彫刻の技法を生み出し

無言で怒りの咆哮を上げているこの像を製作して

飾られたのだそうです。

 

今まで

全く気づかなかった。。。。。

 

 

エヴァンゲリオン的なモンスターかと

最初に感じてしまいましたが

もっと深い意味がありました。。

 

 

今日「睡蓮」の大連作を追ってみた

 

春のラモー(復活祭直前の日曜日)から

秋の諸聖人祭(11月1日)の後の日曜日まで

半年間しか空いていない「モネの家」に

今年の閉館直前にもう一度と思い立ち

行ってみました。

 

もうお花はないかもしれないので

行っても面白くないかも。

 

でも

ギリギリ最後まで

何らかのお花が見られるように

庭づくりをしているはずと考え直して。

 

 

パリから長距離電車で小一時間。

 

お花が溢れる庭園もさる事ながら

睡蓮の池のある日本庭園が

雨の中で

周りの樹木の紅葉で

夏場以上に情緒があった。

 

300枚前後は存在するらしい

モネの名高い「睡蓮」は

20年以上の間に亘って

春夏秋冬

早朝・午前・午後・夕刻

テーマを変えながら様々に書き続けられた。

 

私も百枚ほどは見ているものの

秋の睡蓮は

あまり見たことがない。

 

それでは

自分で写真で再現してみようではないか

というわけで.....

 

 

こんな時期なので

期待していなかった睡蓮の花が

しっかり咲いていました!

 

 

それまで

光は明るいか暗いかというもので

色彩には関係ないと思われていた。

 

ところがその色彩は

実は今この瞬間の光が創りだしている

ということに気がついたモネは

刻々と移り行く光線の

今の瞬間を色彩で捉えて

キャンバスの定着させてみようと思い立った。

 

それが印象主義なのです。

 

 

光の変化を

もっとも直裁的に感じ取れるのは

水面の反射。

 

ジャポニズムの影響もあって

日本庭園を作り

池を作って睡蓮を植えていたモネにとって

パリを離れて晩年を暮らす中で

もっとも創作活動を刺激されたのが

睡蓮の池だったわけでしょう。

 

 

雨で光が乏しく

写真では確認しづらいのですが

この絵の肝心な点は

空と

空と水面の間の空間と

空や周囲が映る水面と

水の中と

池の底の

5層を一度に二次元のキャンバスに表そうとしたこと。

 

 

キャンバスの中に

水面に映る青い空と白い雲

池の岸辺の柳その他の樹木の枝や幹の写り込み

水面に浮かぶ睡蓮の葉と花

水の中の水草などを

光の変化で映し出す努力。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

水面は

太陽の方向は白い反射で

近くの草木によっては

茶色かったり暗緑色や紺色だったり。

 

映る枝と

水面下の水草とが重なり合っていたり。

 

最晩年は

白内障とリウマチに悩み

痛む腕で

絵の具を思うように塗れずに

怒りのあまり

ペインティング・ナイフでキャンバスを

切りつけたりしながら

最後の方では

絵の具を塗りたくっただけのようにすら感じる

ほぼ形のある表現はなくなっていったとはいえ

どれもが素晴らしいのですが

写真などでは

辿れるわけがありませんでした。

 

 

白と

赤と

紫と

ピンクと

ブルーの花を見つけて

大いに価値のある遠出となりました。

 

 

今日のパリの秋は色々

 

このブログで

おそらく登場回数が最も多いかもしれない

近所の公園に行ってみたら

色・色・色で

情緒豊かな秋を演出していました。

 

10月27日金曜日

一日中陽がささず

時折極小の水滴も舞う

薄暗く寒々とした

いかにも「らしい」秋の一日でした。

 

 

真っ赤と黄色。

 

 

 

カラスザンショウの黄色と

ハナミズキの赤。。。。。

 

色彩の乏しくなってゆく晩秋のパリに

この鮮やかさは

何者にも代えがたい...

などと独り頷く。

 

 

 

そのカラスザンショウも

黄葉した葉っぱと

まだ青い葉っぱと。

 

 

 

ハナミズキも

まだらなのもある。

 

 

そして。。

 

 

「半分赤い」のがいた。

 

隣にいる

小さな深緑のと好対照。

 

 

白樺が三本。

 

 

 

 

公園内の数カ所にある遊具コーナーでは

寒空の中

小さなパリジャンたちが

無心に遊んでいました。

 

 

卓球台の周囲には

若者たちが。

 

 

さらに

トレーニング・マシンを置いたコーナーもあります。

 


そこには

親たちの真似をしている小さい子から

若者

熟年

高齢者

まで年齢を問わずにそれぞれに

やりたいことをやっています。

 

 

天候不順で

寒くて雨がちの

秋のパリの美は公園にあり。

 

 

 

今日の大騒ぎとから騒ぎ

 

歩行者専用道路というわけではなく

一定条件では車も通れるのですが

ほぼ一日中ホコテン状態の横丁にある青果店が

店の前の道路の真ん中に台を作って

かぼちゃを

積み上げて売ってました。

 

その前に

大勢が群がって写真撮ってる。

 

特に

おばあちゃまたちが大騒ぎ。

 

なぜかというと

アレだからですw

 

 

 

いやもう

彼女たののはしゃぎっぷりといったら

日本の女子高生たちでさえ

負けそうな有り様で。。

 

 

いい歳したおっちゃんが

画角に割り込んで

ピースサインしとるやないかい!

 

と思ったら

お店の販売員のおじさんでした。

 

自分たちの作品が大受けなのを見て

思うれしさのあまり

思わず飛び入りで参加したわけです!

 

 

きゃっきゃうふふ

な状態は

万国共通にご婦人方の年齢は無関係のようです。

 

 

髪の毛も

まるで申し合わせた様に

かぼちゃ色!

 

本当に

この場にぴったりのおばちゃまで

なんか

ほのぼのとしてしまいました。

 

黒いガウンを羽織って

箒に跨ると

もっと似合いそうだと思ったことは

もちろん

内緒です。

 

 

 

 

 

それにしても

こいつら

本当に良く出来てる。

 

目玉どこー

な感じといい

口の中には犠牲者までいる配慮(?)といい

細工したお店のおじさまには

敬意を表したいほどでした。

 

 

要は

直径40cm程もある

これらを

1個8ユーロで売るためのお店の工夫なのですが

注目度では大成功のようです。

 

しかし

売れてるかというと

私も含めて

写真を撮ってる人びとは

誰一人として

購入した人はおりませんでしたw

 

実はこのかぼちゃ

食べても美味しくないんですよ。

 

要するに

アレの為の細工用。

 

でも

重くて持って帰りたくはありませんからね。

 

 

お店の別の一角には

蜘蛛の巣に引っかかってる

おばけ

まで登場させていたという驚き。

 

 

少なくとも

通行人を楽しませる事には

貢献したのでしょう。

 

八百屋と

チョコレート屋と

おもちゃ屋と

子供服屋と

インテリア小物の雑貨店くらいにしか

アレ関連のディスプレーはありません。

 

フランスはカトリックの国で

(イスラム教徒も多くなっていますが)

ケルト族の一部の

悪魔とのじゃれあう祭りは

一部の経済界の期待を裏切り続けて

全く盛り下がるののが

英米を覗いた

大陸側ヨーロッパの毎年の光景です。

 

 

 

今日の還暦記念

 

数日前

正確には10月21日夕刻

パリ16区の区役所前を通りかかったら

鉄柵になんか面白そうなポスター様のものが

飾られていました。

 

 

よく見たら

「renoma  60周年」

「展示会 23年10月23日から24年1月23日」

と書いてある。

 

あの「ルノマ(日本ではレノマと呼んでいた)」の

創業60周年記念展示会があるらしい。

 

しかも2日後から。

 

 

 

 

 

 

 

 

「父から息子へと代々続いた仕立屋のルノマ一家が

 1936年にポーランドからパリに移住」

「モーリス・ルノマ1940年10月24日誕生」

「モーリスとミッシェル・ルノマは仕立屋に興味を持ち

 父親のアトリエの隅に作業場をもたせてもらい

 アルパカ

 モヘア

 フランネル

 ギャバジン

 などのスーツが評判を呼んだ」

 

から始まって

「1963年10月23日

 ポンプ通り129番地に

 White House - Renoma を開店」

 

とあり

主だった創作活動の年代記風のパネルが並んでいた。

 

店舗開業の日付23日に合わせて

展示会も10月23日から

ポンプ通り129番地の店舗にて。

 

そのパネルの合間合間に

不思議な作品が。。

 

 

 

 

 

 

これらはすべてモーリスの作品らしい。

 

1963年の店舗開業以来

多くの芸術家たちが店を訪れ

友好関係を深め

常連顧客となったそうな。

 

ダリ

エッシャー

マグリット

ピカソ

ヴラマンク

ウォーホール

等など。

 

彼らから多くのインスピレーションを受けた。

 

 

その店は

区役所から1ブロックなので

行ってみた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あったあった。

 

ウインドーに

区役所の柵に飾られていた

モーリスのポップな絵画と

そこから創り出された作品が。

 

絶対にシロートさんには着られないような

着る機会も場所もなさそうな

とんがった服の数々。

 

1970年台から80年台にかけて

日本で「レノマ」のセカンドバッグが大流行した。

 

明るめのブラウンのシボ皮の長方形で

片面の下半分に

ネットが付いている定番。

 

その後のルイ・ヴイトンの流行の先駆けで

誰もかれもがそのバッグを持っていた。

 

でも

日本で見たのはバッグと

ほんの少しのネクタイなどだけ。

 

こんなトンがった上着などのクリエーターだったとは

全く知られていませんでした。

 

 

展示会を行うギャラリーは店内にあるらしいのですが

入る勇気があるかどうか

自信がないw

 

この記事を書いている

今日10月25日の時点では

エクスポジションはすでに始まっているます