パリで最も高い建物は
モンパルナス駅前の
モンパルナス・タワーで
210m59階建て。
これを含めて
100m超えは2つしかありません。
国土の広いこの国は
人口密集が少ないので
高層ビルや地下街の必要はないのです。
これがモンパルナス駅舎。
実はこの地は
17世紀後半までパリを囲む城壁の外でした。
ルイ14世が
戦争資金に不足が生じた折
パリ市内に「アルコール消費税」を導入した際
市内を出た場所だと無税で
しかも物価も安い
というわけで飲屋街となり
その後ルイ14世がパリ市を広げて
市内に含まれても
郊外の質素な建物がその後も残り
20世紀になった頃ははかなり老朽化した建物ばかりで
売れるあてのない画家の卵たちが屋根裏部屋に住み着き
酔客の似顔絵を描いて小銭を稼いでいたそうです。
そんな老朽化した町内の再開発が第二次大戦後始まり
ポンピドゥ大統領が
駅舎の建て替えと
駅前再開発で高層ビルとモールとを作りました。
その工事開始の礎石を置く式典で
演説する大統領を
この写真を撮っている側の建物の
最上階のバルコニーから
プロのスナイパーが狙撃する
と言うシーンが
フレデリック・フォーサイスの
「ジャッカルの日」と言う作品で描かれました。
作品では
ポンピドゥではなく
ド・ゴールと言うことにしてありますが。
そこから北に「レンヌ通り」がまっすぐ
サン・ジェルマン・デ・プレまで伸びています。
その通りから振り返ったこの光景が
長らくパリの市民に嫌われています。
だって
町並みと比べてあまりにも場違いですから。
その通りの同じ位置から
逆に北側を振り向くと
サン・ジェルマン・デ・プレ教会の鐘楼の
三角屋根が見えます。
レンヌ通りを
デ・プレの交差点まで行くと
不思議なものが。
歩道の敷石を突き破って地面から水が噴き出す
様に見えるデザインの
噴水です。
ただ
噴水と言っても
水は地面の上に上がっておらず
あくまで敷石を粉砕してる様に見える位置まで。
この地区は文教地区カルティエ・ラタンに近く
専門書を出版する中小の出版社が多く集まり
両大戦の間に
若手の哲学者たちがたむろしたところでした。
ジャン=ポール・サルトル
シモーヌ・ド・ボーボワール
レヴィ・ストロース
ミッシェル・フーコー
などなど。
そこに
モンパルナスから
エコル・ド・パリと括られる画家や彫刻家
などもやってきて
精神的に影響を与えあっていたそうです。
教会正面反対側の歩道に
ザトキンの彫刻が飾ってあるのですが
今回はその他にも
若手の作品と計4体並んでいました。
ヘミングウェー
ロダン
ギヨーム・アポリネール
なんて人達も。
デ・プレ教会正面横の囲いの中に
ロダン作アポリネール像があります。
10年ほど前に盗難にあい
数年前に見つけ出されて
元の場所に戻ってきました。
日差しが強く
まるで入道雲のような白雲が出ていましたが
肌寒い一日でした。