パリには
今でも風車があります。
場所は
パリの北のはずれ
「モンマルトル」という丘の斜面です。
2000年ほど前に
シーザーの遠征軍が地元住民を破り
地元民の集落があったセーヌの中洲
今のシテ島を拠点に
ルテシアという名で
ローマ人の街が造られた。
そこから北に4kmほどに小高い丘があり
天に一番近い場所ということで
水星の神メルクリウスの神殿を建て
さらに
周辺を見張るのに絶好の場所であるため
兵士を駐屯させた
そんな場所。
3世紀初頭
まだキリスト教が非公認で
邪教として弾圧されていた時代に
この地で布教に当たっていた「ドゥニ」という僧侶が
処刑された場所。
彼は切り落とされた自分の首を拾い上げ
8km先まで歩いて
清らかな泉で汚れた首を洗って
コト切れた。
殉教したドゥニはその後聖人に列せられ
「サン・ドゥニ(聖ドゥ二)」となる。
9世紀に修道院が建立され
10世紀にはその周りに集落ができた。
しかし
狭い丘の頂はスペースが限られ
水の便も良くないため
村として発展する余地がほとんどなく
斜面を切り開いて葡萄を植え
斜面の風向きのいいところに風車がたてられ
ワインを作り粉を挽いて生業とする
ありふれた小さな村のまま
700年ほどが過ぎて行った。
19世紀後半に
売れない芸術家の卵たちが住み着くようになる。
時を同じくしてパリは城壁がこわされ
その外側まで拡張された際に
丘もパリ市の中に含まれ
街らしい建物ができ始める。
その頃からの風車が2基残っており
「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」
ギャレットの風車小屋とよばれて
ルノワールの絵にも描かれている
屋外ダンスホールが開業したりした。
その頃の風車小屋。
裏側から見ると
屋上もある。。
近くには
シュザンヌ・ヴァラドンが
息子のユトリロと共に二階に下宿していた
「メゾン・ローズ」
という小さなレストランも残っており。。
さらに
当時の売れない貧乏画家のために
パリ市が無償で貸与した
「バトー・ラワヴォワール(洗濯船)」
という名前のアトリエ兼住居の長屋も
火災の後再建されて今日に至っている。
近くの広場に
不思議なものがあった。
マルセル・エメ作の戯曲
「壁抜け男」だ。
作者は
実際に男の役を演じた
マルセルの親友で恋人だった俳優で
彫刻や絵画でも知られている
「ジェラール・フィリップ」その人。
なんと
偶然なことに
丘の斜面の小道で
小さなアトリエかギャラリーみたいな店のウインドーに
原型と思しき石膏像が
置かれていたのを見つけてしまった。
こんなところに。。
と小さな発見と偶然とにに驚いた私でした。