今日もパリの街角で

数枚の写真とともに パリの日々刻々をご一緒に

今日の祭典 2/2 サモア戦

 

昨日に続いて

今日は

競技場内の興奮の様子をお届けいたします。

 

 

開始10分程前の

ウォーミング・アップ。

 

 

私の席は

裏正面真ん中の

テレビカメラの下方

選手入退場のトンネル出口の屋根の前。

 

 

いよいよ選手たちの入場。

 

双方の国旗を持つのが小さな子供で

なんだか

重そうにヨタヨタしてて

可愛かった。

 

 

両国国歌の演奏で

観客席は

すでに大興奮。

 

 

そして

サモア側から

恒例の「ハカ」の儀式が始まる

 

 

TVのカメラマンがピッチに這いつくばって

芝目線で撮影中。

 

 

さあいよいよ

サモア側のキックオフで

試合が開始されました。

 

 

敵陣近くで

最初のスクラム。

 

「ラグビー」という競技名は

1826年頃

イングランドの名門校「ラグビー校」で

フットボールをやっていた生徒の一人が

途中でボールを手で抱きしめて走り出し

皆がその彼を追いかけまわしたことに由来する

というのは有名な逸話ですが。

 

実は

すでに中世14世紀頃には

フランス南西部のこの辺りで原型が始まっていたとか。

 

ローマ帝国崩壊後

民族や行政システムも

政治経済や文化のレベルも

ローマ帝国のシステムが残っており

北フランスよりはるかに先進地帯だった

フランス南部の地中海世界で

最大の勢力を誇った一人が

「トゥルーズ伯」だった。

 

単に

北フランスの諸侯たちのトップに過ぎいない

カペー家の王権を認めていなかったのに

カタリ派の信仰を異端とみなしたローマ教皇庁と結託して

アルビジョワ十字軍を仕掛けられ

滅ぼされていった歴史が

ラグビーが象徴的に南西フランスで発達してきた

要因だそうです。

 

己の「肉体」を信じて相手にぶつかり

仲間との「団結」を本質的な要素として

相手に対抗するゲーム。。。

 

スクラムやモールは

その「民族的団結」の象徴なのです。

 

 

そのスクラムから

見事に

前半戦の初トライに成功。

 

 

 

この直後に

競技場の大スクリーンに

「人間スコアボード」

が映し出されましたw

 

 

このおじさん

すっかり競技場の有名人となりました。

 

 

後半戦は

日本側のキックオフで開始。

 

 

後半戦の初トライ

 

 

 

今大会

コンヴァージョンキック全発成功の10番松田が

初めて失敗....

 

前半も後半も

それぞれ10分間以上

耐えなければならない時間帯があって

60分過ぎに体力的に崩壊しやすい今回の代表チームが

粘りに粘って耐え続けて

勝利をもぎ取った。

 

 

その

勝利の瞬間です。

 

 

日本に比べてサモアのサポーターは圧倒的に少なく

試合中を通じで

「ニッポン」コールが止まず

ウェーヴが4周りも続くなど

競技場全体がサモアには大アウェイだったので

サモアがチャンスを作ると

競技場が揺れるほどの大声援が

フランス人観客から起こったほど

彼らは判官贔屓なのですが

やっぱり日本の勝利の瞬間は

37400人の観衆全員が

祝福してくれました。

 

 

敵味方なく健闘を称え合う

感動の瞬間です。

 

 

見上げると

屋根の淵に

両国の国旗が掲げられていました。

 

勝ててよかった。。