今日もパリの街角で

数枚の写真とともに パリの日々刻々をご一緒に

今日の追想

 

左岸のオデオンの近くで

小さな頭像が飾られているのを発見しました。

 

これまで

数え切れないほど歩いたはずの場所で

こんなものがあるなんて

全く気がつかなかった。

 

基壇に設えられている銘板を見たら

シャルル・アズナヴールでした。

 

自分語りになってしまいますが

中学生までは音楽とは交響曲の事だと信じていて

高校生になって

喫茶店に行きだし(禁止されていなかった)

ジャズに触れて

クラシック音楽とジャズに共通点があることに気づき

ジャズ一辺倒になり

その後

ビートルズにも出会った。

 

初期のリヴァプールサウンズの衝撃は

今でも忘れられない。

 

高校二年時に

年間100本の映画を見る目標を立て

毎週末二本立ての名画座に通いつめて

フランス映画を知り

ジャン・ギャバンやアラン・ドロンを識り

シャルル・アズナヴールを識った。

 

 

この頭像は

2本の通りが1本になって

すぐサン・ジェルマン大通りに出る

その交わる間の小さな三角形の広場。

 

三角形の底辺あたりに木が一本立っていて

頂点部にアズナヴール。

 

日本を逃れて渡仏し

パリに来て何年めだったか

自宅近くで

シャルル・アズナヴールを見かけたのです。

 

大好きだったシャルルは

小さなおじちゃんだったけれど

感動した。

 

 

「パリ6区ムッシュゥ・ル・プランス通り36番地に

 幼少期を暮らした

 シンガーソングライターにして俳優で作家

 慈善活動家にして外交官だった

 シャルル・アズナヴールを讃えて」

と記されている。

 

アルメニア人の両親の元1924年に生まれて

このすぐ横で暮らしていたらしい。

 

オスマン・トルコによるアルメニア人大量虐殺のあと

アメリカに亡命したかった両親は

パリで米国のヴィザの発給を待つ間に

シャルルが誕生し

結局フランスに居ついたのでした。

 

 

シャンソンとは

仏語で「歌」のことで

日本で言うような特殊なジャンルではありません。

 

八木節だっておてもやんだって

シャンソンなのです。

 

しかし

日本で言う「シャンソン」の典型のごとき

彼の歌声を

私は大好きでした。

 

私にとっては

エディット・ピアフはリアルタイムでは知らないので

実際自分で見て聞いた中では

ジュリエット・グレコ

イヴ・モンタン

シルヴィ・ヴァルタン

と並んでシャンソンそのものだったのです。

 

9歳で舞台デヴューし

2018年に94歳で亡くなる直前まで活動を続けた彼は

フランスの仏米を結ぶ文化親善大使を務め

さらに

アルメニアの駐スイス大使も務めた

活動範囲の広い人で「小さな巨人」でした。

 

ご存じない方は

ぜひ彼の歌声を聴いてみてください。