今日もパリの街角で

数枚の写真とともに パリの日々刻々をご一緒に

今日の二重のショック

 

何の変哲もない石畳の径。

 

歩いてるつもりだった。

 

それが

靴底を通して

何やら違和感が。。

 

改めて足元を見ると

何と

何と

ラバーかプラスチックの

ダミーだった!

 

驚き

後(のち)

ショック。

 

石畳のダミーなんて

そんな物まで有ったのか。

 

ショック。。。

 

 

周りを見たら

置いてあるではありませんか

大小の

きれっぱしが。

 

その横の

ベージュの部分も

しっかりダミー。

 

さらに。

 

 

積み重ねてある

大量に。。

 

ベージュなのは

泥を敷いたりして

作業した結果そうなった結果か

それとも

そういう風に見せる

ダミーのカラー・ヴァリエーションなのか?

 

謎は膨らむばかり。。

 



横の道が

石畳を剥がして

土が撒いてある。

 

ここをやり直すのだろう。

 

 

古めかしい

骨董品級の手押車に

畳み込む石が載せてある。

 

そう

石畳は

まず基礎を砂利で固めて

その上に砂をまいて

その上に

3辺が10cm超の立方体の石を丁寧に並べて

隙間に砂を水とともに丹念にブラシで詰め込んで

作るのです。

 

別にセメントなどで固めたり接着したりはしなくても

端から端までキッチリと敷き詰めるから

外れなくなる。

 

1968年

世界中の学生や若者が体制相手にデモをして

社会の閉塞感と矛盾とを打破しようとした

若者たちの『68年革命』は

日本でも「全学連」が再編成されて『全共闘』となり

70年の安保改定まで

日本全土で

機動隊とぶつかり合ったものだった。

 

パリでは

「学生街」と言われる『カルチエ・ラタン』で

機動隊とぶつかる際に

皆が足元の石畳を崩して

石をばらし

機動隊目掛けて投石した。

 

それに懲りた政府は

数年後に騒ぎが治ってゆくと

警備しにくい細い通りの集まった地区から順に

石畳の表面にそのままコンクリートを流して固めてしまい

その作業は

『シャンゼリゼ』や『オペラ大通り』など

著名な通りにまで及んで

あたかもコンクリート舗装の通りのように

変身させてしまったが

コンクリートを引っぺがすと

下にはしっかり「石畳」が残っているのです。

 

 

そのうち

お兄さんたちが何やら

変なものを運んできた。

 

 

これって....

石畳の別種のダミーの「セメント製タイル」ぢゃないか!

 

こんなものまで使うのか

と2度目のショック。

 

ここって

何かのイヴェントで土を撒いて

その後にプラのダミーで臨時に覆ってあるだけなのか。

 

それとも

これから通り全部を

このセメント・タイルのダミーに張り替えるのか?

 

ショックとともに

気がかりで仕方がなくなってしまいました。