今日もパリの街角で

数枚の写真とともに パリの日々刻々をご一緒に

今日の軌跡

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左岸の『フォブゥール・サン・ジェルマン』』という

静かな界隈を歩いてきました。

 

日差しの強くない

まさに「花曇り」と言った風情の

寒くも暖かくもない午後でした。

 

この界隈は

17世紀から18世紀にかけて

貴族の館が400軒ほど建ち並んでいた

貴族の住宅街だったそうです。

 

現存する100軒弱の館は

公官庁が使っていたり

外国の大使館が使っていたり。

 

写真は『ヴァノー通り』というのですが

そこで

銘板をはめた建物がありました。

 

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玄関の左上です。

 

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よく見ると

「アンドレ・ジィド

 1869年11月22日パリに生まれた彼は

 1926年から

 1951年2月11日の死去まで

 この建物に住んだ」

と記してあります。

 

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おお

記憶が一気に戻ってきた。

 

筆者がパリに着いて

ソルボンヌに入学した最初の日

「君たちはこれからこの一年間

 これらの作品を読み込んで理解しなさい」

と教授から渡された12冊の作品名の一番上に

書かれていたのが

「アンドレ・ジード作 贋金つくり」

だった。。。

 

日本で「純粋小説」と呼ばれている

内容は非常に単純で

かつ非常に複雑で

極めて難解な作品だった。

 

主人公の

今で言うヤンチャな学生たちがたむろして

ろくでもない事を夢想していたサロン・ド・テが

「PONS ポンス」という店で

その名の通り

ポンス(英語で言うところのパンチ)を飲ませる

店だったのですが

当時もしっかりそ場所に残っており

上品な熟年のご婦人たちが

午後のお茶をしていたものでした。

 

すでに「パンチ」は出されていなかった様だったが

店名と同じ名のパティスリー「ポンス」が名物で

美味しかった。

 

30年ほど前に

大手「HEDIARD」に買い取られて

その菓子もなくなったのがとても寂しかった。

 

その通りから5分ほどで

『バビロン通り』に出ると

またしても。。。

 

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結構重厚な建物ですが。。

 

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玄関右の窓のさらに右横に銘板が。

 

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「イヴ・サン=ローラン

 1936年から2008年

 フランスのクチュリエ(服飾デザイナー)

 は

 1970年から

 最後の時を迎えるまでこの建物に住んだ」

 

パリを歩くと

ありとあらゆる分野の著名人有名人の

ここに

「生まれた」

「住んだ」

「没した」

という表示は日常の光景で見られます。

 

そういう意味でも

歴史を体感できる街です。