今日もパリの街角で

数枚の写真とともに パリの日々刻々をご一緒に

今日の普遍化

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昨日は

「花屋がたくさんある」

と書きましたが

実は

「アート・ギャラリー」も実にたくさんあります。

 

裏通りの

ひっそりした商店街にまで。

 

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なんだか

とってもユニーク

というか

逆にありそうというか。。

 

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絵画と言うより

ポスターかパネル。

 

彫刻と言うより

オブジェかフィギュア。

 

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元来「アート」という言葉は

「芸術」と訳されてきた通り

ある意味で「形而上的」な

日常性(形而下)を突き抜けたものでした。

 

言い換えると

「選良意識」の権化でもあった。

 

なぜかといえば

芸術の顧客が

王侯貴族か高位聖職者に限られていたら。

 

宮殿や教会を飾るものであって

富と権力の象徴でもあったから。

 

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ところが

産業革命以後

王侯貴族と高位聖職者に変わって

産業資本家という町人階級が社会を主導し

アートの顧客になっていったので

それまでの芸術の属性であった

「アカデミスム」と「宮廷生活」から

「日常性」の中の「特異性」へと

変化していったわけです。

 

20世紀後半ともなると

アートという言葉は完全に意味が広範囲に広がって

このギャラリーのように

「ポップ」なものや

「美しくない」表現や

「ショッキング」な表現や

「扇情的」表現すらアートと呼ぶようになった。

 

そこで

歴史的な意味での芸術を

英語では「ファイン・アート」と呼んで

区別するようになってきたわけですが。

 

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ここのギャラリーは

自分とこの傾向を「ファイン・アート」と名乗ってる。

 

いやいや

どう考えたって「ポップアート」でしょ

と言いたくなってしまい

もしかすると既にそこまで変化しているのか

と考えてしまったわけでした。

 

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コミックの「つぎはぎ」のような脚の上に

踏ん反り返ってる「ドナルド」が

可愛いちゃあ

可愛い。

 

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でも

これを「ファイン・アート」と呼ぶのに戸惑う

『フラ・アンジェリーコ』が好きな私は私は

化石人なんだろうか。

 

何れにしても

芸術が「汎用性」を身につけて

底辺を大きく広げたことは

評価されるべきなんだろう。

 

ポップ・ミュージシャンを「アーチスト」とよぶ

日本の現状には疑問を抱きつつも

住宅地の裏通りにこんなギャラリーがあるという事実に

瞠目しております。