今日もパリの街角で

数枚の写真とともに パリの日々刻々をご一緒に

今日の薫風

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左岸の『サン・シュルピス教会』という

大きな教会の横の裏通りに入ったら

壁全面に文字が書いてありました。

 

なんだろう。

 

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『アルテュール・ランボー

 1854年 シャルルヴィル生

 1894年 マルセイユ没

 "酔いどれ船"』

書いてあります。

 

なるほど

これは

彼の最初の出世作『酔いどれ船』の

全文らしい。

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このように

第1行目の頭に「1」とあり

最後の行の頭には「20」とある通り

あの不朽の名作である100行詩を

 

20行ずつ

5ブロックに分けて書いてあったのです。

 

この部分を拡大してみると。。

 

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「なんの感情もない大河を下り始めた僕は

 両岸から船を曳く人夫たちの事も忘れ...」

と始まる。

 

1871年の作品のはずだが

普仏戦争の敗北とナポレオン3世の失脚

プロシア軍の占領下にあって

原始共産制を唱える『パリ・コミューン』の最中という

価値観の大変動期に

早熟の文学青年が

伝統的に韻をふむ定型詩から

全く新しい感覚の表現を切り開いてゆく過程で

意識を搾り取って文字に紡いでいった

その結果がここにあるのだ。

 

 

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赤子をバギーに乗せた母親が

壁の上部を振り仰ぎ

天才の息吹を感じ取っているかのごとく

畏敬の念に駆られている様が

彼女の肩や背中に感じ取れた。。

 

でも

なぜここに?

 

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最後の「第80行から100行」までのブロックの

一つ手前に

説明があった。

 

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「この詩が(壁の)右から始まるように

ランボー(当時17歳)は『酔いどれ船』を

サン・シュルピス教会の前の広場の向こう側のカフェの

二階の窓から

友らに向かって初めて朗唱した」

「想像するに、その時そよ風が

教会の前を横切って

右向きに

こ『フェルゥ通り』を吹き抜けて行ったに

違いない」

 

2012年6月14日

オランダはレイドルの出版社

『テーゲン・ベエルト社』によって設置

と書かれている。

 

おお

この銘文自体が

素晴らしい詩になっているじゃないですか。

 

そういえばこの界隈は

専門書や哲学書などの

中小の出版会社が多く集まっていた界隈だ。

 

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アルテュール・ランボーは

1891年

わずか37歳にしてこの世を去った。

 

数学者にして哲学者で物理学者だった

パスカルもそうだが

多くの天才が夭逝する