今日もパリの街角で

数枚の写真とともに パリの日々刻々をご一緒に

今日の現実への抗議

 

パリの東の方に

革命のきっかけとなった「バスティーユ牢獄の襲撃」

でおなじみの

『バスティーユ広場』があります。

 

その外れに

青い塊が並んでいるのが

遠望されました。

 

近づいてみたらテント村だった。

 

 

金属のバリケードで囲われている敷地の一角に

横断幕と大型テントがあって

ここが入り口らしい。

 

 

横断幕には

「未成年や 青少年や 身寄りのない孤独者や

 国は彼らを路上に放置することを選んだ

 我々は直ちに適切な制度の構築とその施行を求める

 すべての若者達の為に!

 UTOPIA56.ORG」

とあった。

 

どうやら

ブルターニュ地方の56番県(モルビアン県)で

立ち上げられたNOP法人らしい。

 

 

この大型テントがここの受付らしく

収容者の書類を作ったり

行政との折衝を行ったりするようだ。

 

宿泊用テントの数は

ざっと見渡して40張りほど。。

 

聞いてみたら

50人ほどの

家族や身寄りがなく

行き場をなくした若者達を

十日前からこの場所で面倒見ているそうです。

 

 

シリア難民が大挙してEU諸国に流入を始めて以後

パリにも

あちこちに非合法なテント村が自然発生的に形成され

当局のお目こぼしがあって数ヶ月続いたり

そのうち警官隊による排除があったりと

難民の問題は目を背けて通るわけにはいかない

日常のテーマとなっているのです。

 

加えて

アフリカ諸国などからの不法移民してきた

滞在・労働許可証を持たない人々が

時折行政の援助を求めるデモを行ったり

逆に

寒波の来襲した厳冬期に

企業が投資目的で所有し

住人のいないアパルトマンを行政が臨時に接収して

それらに人々の住居として提供したり

いろんなニュースが飛び交う中

この種のNGOは各所に数多くあるようです。

 

 

地下鉄「バスティーユ駅」の

1号線のホームの上がテント村。

 

そして

ここからセーヌまでの数百mは

はるかベルギーや北ドイツまでつながる運河の起点で

今はプレジャーボートのハーバーに利用しており

この駅からそれが見晴らせるのです。

 

バスティーユ広場より北は

運河の上は蓋をして大通りになっており

数キロ先でまた運河が現れて

『サンマルタン運河』という呼び名がついています。

 

 

その運河沿いの通りの

広い遊歩道のような歩道にも

自分の意思でここに来て暮らす人達のテントが

10張りほど並んでおりました。

 

いろいろな社会問題が

市民の日常生活のあちこちに隣り合わせで存在し

皆の注意が喚起される結果となっています。