今日もパリの街角で

数枚の写真とともに パリの日々刻々をご一緒に

今日の主人公達

 

1月27日金曜日

午後の気温は4度と昨日とほぼ同じでしたが

雨が降らなかったので

コンコルド広場に面した「旧海軍省』の建物

『HdM オテル・ド・ラ・マリーン』

の美術展に行ってみました

 

ここはフランス王立海軍のある提督の17世紀の館で

常設展示である修復された当時の内装の部分と

特別企画展が行われ

目下

ヴェネチアのパラッツオ(貴族の館)『カ・ドーロ』

のコレクション展をやっています。

 

その近くまで行くと

高価そうな装束のお洒落な若者たち多くと

すれ違いました。

 

ああ

やっと中国人たちが又やってくるようになった

と再認識。

 

と同時時に頭の上に

赤い「新年快采」のアーチが

赤々と

通行人たちを見下ろしているのが

目に入りました。

 

 

数日前に「テキスタイル通り」で

ぼんぼり

という言葉を使いましたが

まさに

「本物のぼんぼり」がぶら下がっております。

 

 

コロナ禍以前は

当然のように

「春節」を祝う中国語の表示が溢れていた

パリの商業地地区に

また

主(あるじ)の再来が始まったようです。

 

ちなみに

この写真の奥は

『エルメス』の本店。。。

 

 

そのすぐ前の「上空」にも

当然ぼんぼりが揺れております。

 

30年〜40年前の日本人のように

両手に有名ブランドのショッピングバッグを

いくつもぶら下げた彼らが

楽しそうに行き交っています。

 

ただその頃の日本人と違うのは

当時の日本人たちは

日本から着てきた服装で買い物袋をぶら下げていたのに

中国からの人々は

来仏前に本国の専門店で買ってきたか

到着後にパリで買ったのかはともかく

高級ブランドの最新モードの新品を着て

歩いてる。

 

 

やはり

当時の我が同胞達より

ひと周りもふた周りも裕福なのでしょう。

 

フランスの高級ブランド経済は

彼らなくしては

成り立たなくなってしまっていて

両者ウインウインの関係が出来上がっています。

 

国力も民間の力も

それぞれに順番に回っているようです。

 

日本のピークは短かったけれど

その頃を生きてきた自分としては

何かざわつくものを感ることも。。

 

 

すぐ近くの「マドレーヌ教会」は

数年来の修復工事がまだ続いていますが

例によって企業メッセの資金で行われており

正面は「お騒がせブランド」の巨大な看板に

シズちゃん女史の水玉模様が

これ見よがしに辺りを睥睨していました。

 

 

しっかりと

彼女のサインが入っておりました。

 

購入するのは中国の人たちで

買わせる方は

日本人を使っているって

皮肉なことですね。

 

それはそれで

ウインウインなのかもしれませんけど。。。