今日もパリの街角で

数枚の写真とともに パリの日々刻々をご一緒に

今日の街燈

 

歩いていて

ふと気づくことがいろいろあるわけです。

 

パリの街は

街並みが整然と整っていることで

よく知られていますが

実は

同じように見える通りも

同じように見える建物も

皆デザインが違うのです。

 

パリの街の

整然として見える佇まいは

街に対する住民の感覚的統一性のなせる

結果なのではないでしょうか。

 

そして

街頭が素敵なのです。

 

 

カメラワークというと大げさですが

位置取りが物理的に難しいので

なかなか思う通りには行かないものの

街頭の並び具合を見ると

その整合性というか

役割の持つ機能美に

胸を打たれることが頻繁にあります。

 

 

セーヌの河岸の通りの一部が

遊歩道になっていることが多いのですが

第二次大戦中

占領ドイツ軍に迎合した傀儡政権

「ヴィッシー政権」の手によって

多くの

パリ在住ユダヤ人たちが

アウシュヴィッツに送られた際に

この近くにも

子供たちが集まっていた学校県避難所が襲われて

多くの児童生徒をが

収容所に送られていったことを忘れないための

記念碑があって

それがある遊歩道の街燈が

華美なデザインではなく単純な意匠ながら

整然と並んで

全体として美しさを生み出していました。

 

 

 

そのすぐ横の

このブログに実に頻繁に登場する

『ビィル・アケム橋』

の上の通るメトロの通る橋上橋の

一つ一つの橋脚の間にぶら下がるランプも

美しいのです。

 

 

普通の住宅街の街頭も

場所ごとに全部デザインが違う。

 

行政的には

ずいぶんお金のかかることを

やってくれています。

 

 

銅像などのモニュメントも

街頭と一緒にフレームに収めれば

ひときわ映えるというものです。

 

 

複数並べて撮らなくても

一本だけ単独で見ても

絵になりますね。

 

日本の街も

あらゆる建物のデザインが全部違うけれど

少なくとも

統一感や

整合性や

バランス感覚の美しさは

ないように思えます。

 

「花のパリ」

と呼ばれる所以が

そこにあるのでしょう。