今日もパリの街角で

数枚の写真とともに パリの日々刻々をご一緒に

今日の穴

 

切り株がありました。

 

まあ

都会生活をしていれば

洋の東西を問わずどこに住んでいようと

切り株を見る機会は

そうざらにあることではない

と思いたい。

 

ほとんど「中身」がなくなって

「洞」になっていたようなので

きっと

害虫にやられていたのでしょう。

 

それがわかって

 

他の木々に伝染しないように

切り倒したのち消毒駆除したのだろうと

思います。

 

 

それにしても

ふた抱えほどもありそうな

結構な大木だったようです。

 

最近

日本から街の木を伐採する話が聞こえてきていました。

 

千代田区だったか

歩道をもう少し広げたいとか

落ち葉の処理が大変とか

の理由で伐採を進める都や区や「町会長さんたち」と

反対する住民側とで喧嘩腰とか。

 

詳しいことは知りませんが

落ち葉に住民が文句を言う感覚は

日本以外に世界のどこか他にもあるんだろうか?

 

神宮外苑では

1000本の古木を伐採して

モールやら

イベントホールやら

野球場兼ホテルの複合施設やらを造るのだそう。

 

この発想は

いかにも日本の支配機構の政官財のおじさん達だなあ

発想の貧困さにため息が出る。

 

そんな「他のどこにでもある」ものを作るために

明治期の木々を惜しげもなく切り捨てるって

悲しいを通り越して

頭おかしんじゃないかと

心配になってしまいます。

 

 

木を切って引っこ抜いて出来る「穴」は

単に地面の小さな一つの穴ではなく

人間の精神風土や文化の原点に

ぽっかりと口を開ける「虚空」だと思うのです。

 

百数十年の木を切り倒して造るコンクリートの施設なんて

50年で老朽化して使えなくなる。

 

そういえば

ヨーロッパの家は石造で長期間を生き延びるために

ヨーロッパ人の価値観は時間の物差しが長く

対して

日本家屋は木造ですぐ火災で燃えてしまうので

しょっちゅう立て直してきた為に

時間に対する感覚が短い。

 

その結果が齎したであろう

「積んでは崩し」

が日本の文化だった。