今日もパリの街角で

数枚の写真とともに パリの日々刻々をご一緒に

今日の平和祈願

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うちの近くに区役所があるんですが

道路沿いの鉄作から建物の玄関までの空間に花壇があって

彫刻が幾つかあるのはずっと前から知っていました。

 

今日何気なく気になって

なんだろう

と近寄ってみたら

戦地からの帰還者と戦没者を讃える記念碑でした。

 

「祖国のために 命の危機から脱出したすべての人々へ」

と台座に記されている。

 

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視覚的に

生死の淵からの帰還の厳しさが伝わってくる

素晴らしい表現です。

 

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こちらは

通常の「戦没者記念碑」です。

 

第一次世界大戦で

それまでの戦争と形態と規模とがガラリと変わり

国民総動員で男性はほぼ皆が戦場に駆り出され

飛行機が空から爆弾を落とし

戦車が歩兵の陣地を踏み潰し

毒ガスが撒き散らされて

4年間の死闘の挙句

男性人口が激減した結果

「産めよ増やせよ運動」が起こったフランス。

 

全国通津浦々に

その町その村から出征して帰らなかった

戦没者を追悼する記念碑が作られています。

 

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その後

第二次大戦の戦没者も含まれるようになり

中小の街や村と

大都会では

市役所や郵便局

放送局や鉄道中央駅

高校大学

などの施設にも

そこの職員で出征した戦死者の名前を全員分明記して

記念碑が作られています。

 

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これは

上の黒いプレートは「インドシナ戦争」の

戦死者への追悼

下の白いプレートは

「あらゆる外地での戦没者」への追悼で

最近公式に何かの戦いの記念日の式典があったようで

公式な花輪が手向けられていましたが

住民の誰かの家族が戦地で亡くなった命日に

個人的に花輪を手向けたりも

普通に行われています。

 

植民地戦争とはいえ

戦死した兵士には栄誉と哀悼が捧げられるべきでしょう。

 

そこには戦争肯定のプロパガンダはなく

宗教性も政治性もなく

特定の政党の宣伝用などには絶対使われません。

 

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昨年設置されたと書いてある新しい彫刻は題して

『平和の樹』

そして

「ユネスコ大使寄贈」

とありました。

 

このような習慣はフランスだけでなく

欧州各国に共通していると思うのですが

ウクライナでは

破壊されている町々に

近い将来同じような追悼の碑が建てられることでしょう。

 

演習だと騙されてウクライナに送られてきて

すでに数千人が戦死しているらしい

「ロシア兵士」は

故郷でどのような碑文で「称えられる」ことになるのか

とても気になります。